①ショーペンハウアー『読書について』
読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。(中略) 読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆けめぐる運動場にすぎない。
ショーペンハウアー
ショーペンハウアーについて、上記の有名な一文しか知らないまま34年過ごしてきましたが、たまたま最近読んだネット記事でこの本のレビューが書いてあり、読んでみようと思ったんですよね。読んでみた結果...「頭をガツンと殴られたような衝撃」がありました。多少なりとも読書をしてきた自分ですが、「もっと早く読んでおけば良かった」と本気で思いました。
以下、抜粋。
・いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜吞みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。
・食事を口に運んでも、消化してはじめて栄養になるのと同じように、本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけだ。
・悪書は読者から、本来なら良書とその高尚な目的に向けられるべき時間と金と注意力をうばいとる。
・常に読書のために設けた短めの適度な時間を、もっぱらあらゆる時代、あらゆる国々の、常人をはるかにしのぐ偉大な人物の作品、名声鳴り響く作品へ振り向けよう。
・「反復は勉学の母である」。重要な本はどれもみな、続けて二度読むべきだ。
この本のメッセージを超訳で要約するなら、「読書を無前提に良いものと考えるのはまちがってる。多読はむしろ危険ですらある。なぜなら、読書は気持ちのいいものだが、”自分の頭で考える力”を失わせることにもなりかねないからだ。それでも読むなら断然良書を読むことだ。それも繰り返し読むことだ。三文文士の書いた新刊本ばかりを読んで貴重な時間と金を無駄にするな」
一言では語り尽くせないほどの含蓄のある言葉がこの本には詰まってます。自分の読書のあり方を見つめ直したい人や読書の質を上げたい人は、読んでおいて絶対に損はない1冊。
ちなみに、Kindle unlimitedで無料で読めます。(読書好きにはKindle unlimitedはオススメ)
②山口周&楠木建『「仕事ができる」とはどういうことか?』
パブリックスピーカーの山口周さんと一橋大学の楠木教授の対談本。
「仕事ができる」とはどういうことなのか?という問いを、主に”センス”と”スキル”の対比から深掘っていきながら、目に見えず言語化できない”センス”や”直観”を磨くことの意義やそのためのヒントを語った本。”スキル信仰”に陥りがちな現代人や、ビジネスにおけるオーバーアナリシス(過剰分析)な風潮に対する警告本の1つとも言えると思います。
1つ1つの具体的なエピソードがとにかく面白くて気づきがある。知的な対談って、「具体と抽象の往復」によって新しい意味を発見していくことなんだと思いました。「これからは人間洞察力こそが競争力の核になる」という山口氏の言葉が印象的。
③石原結實『超一流は無駄に食べない』
今月は石原先生の著作を3〜4冊くらいまとめ読みしてたのですが、人生変わるレベルの気づきがありました。
その中でもこの本はおすすめ。最近は、『空腹こそが最強のクスリ』などの「少食&断食本」が流行ってますが、その源流にあるのは石原先生の健康学と思って間違いないでしょう。
とにかく本の最初から最後まで徹頭徹尾、「なぜ少食と断食が健康にとって最良なのか」を具体的な事例とともに示してきます。ここまで言われると、グウの音も出ない。というか、石原先生自身が、70代にもかかわらずボディビルダー顔負けのキン肉マンで、全国飛び回ってバリバリ活躍されていること自体が圧倒的なエビデンスになってしまっています。
現代は、いつでも好きなものを好きなだけ食べられる「飽食の時代」。だからこそ様々な病気が増えていると指摘する著者。健康や食生活について「こういう考え方もあるのか」という学びが絶対あるはずです。
食べすぎるほど恐ろしい害はない。人の病気は食物の適せざることと過食よりくる。有害な飲食を避けよ。なるべく少なく食せよ。そうすれば、汝の体も丈夫となり、精神も立派となって、病の神も、汝をどうすることもできない
-ピタゴラス(BC560-480)
④三島由紀夫『行動学入門』
三島由紀夫の「行動」をテーマに書かれたエッセー集。最終章の「革命哲学としての陽明学」を読みたくて購入。
大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛など、特に幕末のリーダーたちに影響を与えた「陽明学」。三島は、「陽明学の行動原理は日本人のメンタリティの基本を形作っている」と指摘してます。決して読みやすい文章ではなく、難解な部分もありますが、三島の陽明学理解の一端を知ることできます。
行動は一瞬に火花のように炸裂しながら、長い人生を要約する不思議な力を持っている。
行動とは何か P13
われわれの戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのである。社会は肉体の安全保障をするが、魂の安全を保障しない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかりを恐れている人で日本中が占められているならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこに肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。
革命哲学としての陽明学 P214
究極的には「行動=死」とすら考えていたのではないかと思わされる三島の行動哲学が凝縮された一冊。ちなみに、この本の「あとがき」は三島自決の1ヶ月前に書かれています。その予言めいた言葉にも注目。
⑤プラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』
久しぶりに読み返した『ソクラテスの弁明』『クリトン』。
「青年を堕落させた罪」と「ポリスの信じる神々を冒涜した罪」の2つを罪状として、政敵のアニュトスらに起訴され、裁判にかけられたソクラテス。
あくまで自己の哲学に忠実なソクラテスの姿に感動する一方で、彼の弁明を聞けば聞くほど、確かに当時、彼の言論に鼻持ちならない気持ちにさせられている知識人は多かったのだろうと推察できてしまう(笑)
後世の人は、当時のギリシアを「ソクラテスという聖人を死刑にするほどに衆愚政に陥っていた」と批判します。しかし、後付けではなんとでも言えるわけです。大事なのは、「自らがその歴史の状況・文脈に当事者として放り込まれたときにどう考えるだろうか」と想像してみることではないでしょうか。自分だって、もしかしたらソクラテスの死刑に加担してしまうかもしれない。そういう当事者意識や問題意識がないと、歴史から本当の意味での学びを得ることはできないのでは?と自戒も込めて記しておきたいと思います。
もし自分がこの時代のギリシアに生まれ、この裁判の傍聴席に座っていたとして、ソクラテスの死刑に賛成するだろうか。それとも反対するかだろうか。ぜひ、そういう視点でも読んでみるのがおすすめです。
ちなみに『クリトン』は、死刑宣告をされて牢獄にあるソクラテスと、彼に脱獄をすすめる老友クリトンとの対話。なぜソクラテスは脱獄できたにもかかわらず、そして不当な判決であるにもかかわらず、従容として死の道を選んだのか。その理由が語られます。
『ソクラテスの弁明』『クリトン』も、どちらも読みやすいボリュームなので、ぜひ一読を。
(Kindle unlimitedだと、光文社古典新訳文庫の『ソクラテスの弁明』は無料で読めます)