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【京都旅行】上賀茂神社と下鴨神社に初参拝。陰陽道のプロ・賀茂家について。

GWに大阪・神戸・京都をぐるっと回ってきました。

京都にはこれまで何度か訪れたことはあるのですが、今回は上賀茂神社(写真左)下鴨神社(右)に初めて参拝できました。

京都最古の由緒ある神社であり、古代豪族「賀茂一族」の氏神を祀った神社です。ユネスコ世界遺産にも登録されています。(上賀茂神社は正式名を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」、下鴨神社は「賀茂御祖神社(かものみおやじんじゃ)」といいます)

ご祭神は以下の通り。

賀茂神社のご祭神

上賀茂神社:賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)

下鴨神社:賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)

ご祭神同士の関係は、賀茂建角身命の娘が玉依姫命、その息子が賀茂別雷大神。つまり、賀茂建角身命は賀茂別雷大神の祖父にあたります。

ちなみに賀茂建角身命は、「神武東征(日本の建国神話)」の際、天照大神の命を受けて、神武天皇を熊野から大和の橿原へと先導した八咫烏(やたがらす)・金鵄(きんし)として化身したとされる神様。神魂命(かみむすひのみこと)の孫にあたります。神武天皇即位後は、大和の葛城(かつらぎ)で天皇を補佐したようです。

神武天皇を勝利に導いたことから、導きの神・勝利の神とされています。実際、八咫烏はサッカー日本代表のマスコットにもなっていますよね。

神武天皇の弓の先に止まった金鵄が光を放ち、長髄彦軍の兵の目をくらませている。

印象深かったのは、両神社の朱色の鮮やかな鳥居、そして下鴨神社の参道である通称「糺の森(ただすのもり)」。当日は夏日といった暑さだったにもかかわらず、糺の森は非常に冷涼でした。

下鴨神社の参道「糺の森」

陰陽道のプロフェッショナル・賀茂家について

賀茂家といえば、平安時代に安倍晴明の安倍家とともに「安賀両家(あんがりょうけ)」として知られた陰陽師一族が有名です。俳優・野村萬斎が安倍晴明を演じた人気映画『陰陽師』の影響からか、「陰陽師といったら安倍晴明」と連想しがちですが、安倍晴明は賀茂家の分派的存在で、もともとは賀茂家が平安時代の陰陽界の一大権威でした。

※日本陰陽道の歴史には諸説ありますが、有力な説としては、遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)が、陰陽道の秘伝の書を日本に持って帰ったのが始まりとも言われています。吉備真備は遣唐使として二度にわたり渡唐し、帰国後に聖武天皇や橘諸兄(たちばなのもろえ)政権に重用され、スピード出世し右大臣にまで上り詰めた人物です。ただし、それ以前から日本に陰陽道のベースとなる陰陽五行思想は伝わっていました。聖徳太子も陰陽思想に影響を受けているとされ、7世紀後半・飛鳥時代の天武朝の頃には「陰陽寮」という役所が朝廷に設置されています。

吉備真備

陰陽師というと、怨霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)を調伏したり、式神を使っての謀略戦を行うイメージが強いですが、それは平安時代からの話。奈良時代までは、陰陽師の本来の仕事は天文・暦・気象を司り、国の吉凶を見定めることにありました。

この賀茂家の陰陽師として有名なのが、賀茂忠行(ただゆき)、賀茂保憲(やすのり)賀茂光栄(みつよし)の親子孫3代です。

賀茂忠行は、それまで分業体制だった陰陽道の3部門「天文道・暦道・陰陽道」の全てに通じた超優秀な人物で、3部門を統括する立場として、賀茂家を確立しました。

その子である賀茂保憲の代になると賀茂家はスーパーライジングして、陰陽界の権威に上り詰めます。

そして、この賀茂忠行・賀茂保憲親子の弟子にあたるのが陰陽界のスーパースターとして人気を誇る安倍晴明

賀茂保憲は、安部晴明には「天文道」を、子の光栄には「暦道」を授け、陰陽道宗家を二分しました。これにより陰陽寮は賀茂・安倍の「安賀両家」が支配することになります。

その後陰陽道は栄枯盛衰はあったものの、明治新政府により陰陽道廃絶命令が出されるまで続きました。(明治維新後、賀茂家は陰陽師を廃絶。一方、安倍家は室町時代に土御門家に引き継がれ、明治新政府の廃絶命令後、民間に下って天社土御門神道として関連の陰陽師に継承され、現在福井県若狭町にて現存するとされています)

ちなみに、賀茂忠行の先祖には、修験道の祖であり、その強力な霊力から神変大菩薩とも言われた役小角(えんのおづぬ)もいます。彼も賀茂家の出自です。

役行者像(キンベル美術館)

役小角(634-701)

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