雑記

主役意識を持つということ

私たちの中には2つの目がある。

この世界で「自分」という人生の主役を演じる演者の目と、その自分の人生を眺める観客の目だ。

あなたはあなたの人生の観客でありながら、主役である。

しかし、ともすれば、私たちは自分が人生の主役であるということを忘れる。

どんな映画にもドラマにも主演俳優がいる。

たとえば、私の好きな俳優に神木隆之介君がいる。彼はさまざまな映画やドラマで主演・座長をはる俳優だ。

では、たとえばその彼が、自らが主演するドラマや映画を演じるに際して、主役意識・主演意識を持たずに臨んだとしたら、その作品はそれを観る観客の心に何かを残すことができるだろうか。

「いや、あなた主役任されてるんですけど」と監督も観客もみなツッコみたくなるだろう。

「いや、僕は主役ではないです。主役なんて張れません。そんな実力はないです」なんて言っていたとしたら滑稽を通り越して、周りに迷惑である。

この良き意味での主役意識をすべての人が持ったらどうだろう。

いや、誰もがそれだけの気概と意識をもって人生に臨むべきではないだろうか。

朝目覚めたときに、「自分がこの人生の主役だ、自分の一挙手一投足がこの世界に、この人生に重大な影響を与えるのだ」と思えるか。

自意識過剰と揶揄する人もいるかもしれない。

しかし、間違いなくあなたはあなたの人生の主人公だ。

人様のこれ見よがしなSNSの投稿を見て、他者に自分の人生の主役を譲ってはいないだろうか。

あなたのことを揶揄する人も、誰もあなたの人生に責任は取ってくれない。

-雑記

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